まにゃママがつぼやき

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zoom RSS 東北大震災の時のこと 思ったこと。

<<   作成日時 : 2011/03/19 20:06   >>

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当方、南関東在住です。
3月11日は職場であの地震を体験いたしました。


職場で突然緊急地震速報が流れはじめ、
「震度3の地震が到達予定」
という自動アナウンスとともに、カウントダウンが始まりました。

「震度3って…、これ、訓練??」

訓練の場合には、その前に必ず放送が入りますし、
訓練を実施する部署の担当者も怪訝な顔をして放送設備を見つめていました。

いよいよ本番なんだ。
にしても、震度3か…中途半端な…。

そうは思いましたが、緊急地震速報の本番を受けたのは初めてです。
なので、とりあえず、訓練の時と同じように同僚も皆、自分の机の下にもぐりこんでました。

20………15……、10

ぐらぐら…ゆらゆらゆら

震度3といわれるだけの地震が、予想よりも10秒ほど早くに到達しました。
震度3程度でしたらよくあることですので、さほど怖いとも思わず、
ただ、緊急地震速報が流れる状況というのは、一体どこで大きな地震があったのだろう。
そんなことを考えていました。


「解除します」

女性のアナウンスが突然響きます。

え、まだ少し揺れてるのに?? なにを解除?

と思った途端に、ズズズズという微妙な立て揺れがして、
その後信じられない大きなゆれに体をがくんと持っていかれたような感覚がしました。
建物全体が揺れたのだと思うのですが、なんとも言いようのないズズズズっという恐ろしい音が響き、
居室の中に異常事態を示す警告音がビーと鳴り響き出しました。
必死になって机の脚を掴み、地面と一緒に大きくゆすぶられること、どのくらいだったでしょう。

長かった。

実際どのくらい長かったのか、時間は分かりません。
私がいたのは1階ですので、高層ビルなどの長周期なゆれでもありません。
それなのに本当に長い長い間、地面が横に揺れていました。

揺れが収まったと、どの段階で判断したのかは自分でも覚えていません。
とにかく、この揺れで、心の中の何かがポキっと折れてしまったような感覚で、
胸から上の部分がウワウワと上ずった状態になり、自分が何をどうしたらよいのかが全く分からなくなりました。
机の下から這いでて、同僚の声が



「全員の安全確認!」

「電話の人! 配置について!」

「パソコン生きてる!」

「被害状況のかくにんは!?」

「部長に連絡は! え? 本社外勤? 総務課長も?」


大きな声がひびきはじめました。



幸い電気は生きてました。
そして、昼食時のように食堂で火を使っていなかったのも幸いでした。

私の会社は火事もなく、また、人的にも建物的にも被害はなく、ただただ、人間の無事と建物の無事を確認し、
自主的にグランドに避難し、ということを行っていました。


私も役についていたのですが、ほとんど何もできませんでした。
地震のショックで、スッカリビビリになり、耳で聞こえた単語が意味を成して頭の中に入ってこない状態になってしまったのです。

それでもなんとか動きたい気持ちもありましたが、結果的には全然役に立ちませんでした。
精々ラジオを準備した位です。
本社にいる総務課長に連絡をつけましたが、ただそれだけで、何が出来たかといわれても、思いつきません。

なんだかフラフラした状態の中、とにかく明るいうちに、足がある人だけでも帰宅した方が良いといわれました。
自分は電車通勤のため、足なんてありません。
電車が復旧するまで、会社にとどまることになるかも…。
保育園にいる子供は・・・。

同じ市内に住んでいる私の実親が、あの揺れで無事なら迎えに言ってくれるはず。
もう電話も何も通じなくなってしまって、親が無事なのかも分からなくなりましたが、
とにかく信じるしかなくなりました。
歩いて帰宅するには道がわからないし、少し遠いのです。

2階の食堂に設置してあるテレビで情報を得た人が口々に

「宮城県津波ですごいことになってる……」

といいはじめました。
東北方面が震源の地震で津波…。

宮城県は私の義親が住んでいるところです。
そして津波の押し寄せたと連呼されている町の名前がまさにそれ。


とにかく、見ない。
何も見ない。
今見ても何もできない。
見たら、本当に何も出来なくなるくらい心が折れる。

そう思いました。



不幸中の幸いにも、私の自宅方面に帰る同僚の車に乗せてもらうことができ、
大変な渋滞の中、カーナビにて、我が家の側まで送って頂きました。
本当にありがたいことでした。
自宅付近は一体が停電しており、信号もついてなかったので、本当に危険な状態でした。
街頭もない、信号もない、車の明かりだけが頼りの運転。
真っ暗闇でした。

帰宅にどのくらいの時間が経過したか分かりません。
自宅に向かう階段をわーわーしながら駆け上がり、ドアを開けました。


道路を走る車から漏れる明かりでなんとか光を得ていた、私の母親と息子がいました。

「ああ、もう帰れないかと思ってたんだよ…」
「ままー」

声を聞いて、とにかくギュッと子供を抱きしめました。
お母さん本当にありがとう。ありがとうね。


息子は保育園で昼寝をしている間に地震に遭遇したようです。
母親の話で分かったのですが、あの揺れでも全く目を覚まさずにグーグー寝ていたようです(苦笑)
そして丁度金曜日、英語教室を保育園で行っていたため、通常はパジャマに着替えてお昼寝をするところ、
着替える時間はないと、普通着のまま寝ていたようで、それもラッキーでした。

寒い中、保育園の庭で保護者が迎えにくるのを待ちつづけ、ある程度してからホールに戻ったということで、
その時に母親が向かえにきたということでした。


帰宅してから、急いで災害用のリュックを探し、ペンライト状の明かりと、奥底に眠っていた大型懐中電灯を取り出しました。


「あー明るいねー」

明かりがついてホッとした表情になりました。
とにかく、6年も前、子供が生まれる直前に、妙に地震に神経質になった私が準備した防災避難用具ばかりなので、もうそろそろ耐用年限も近いものばかりなはずなので、
とにかく電池が切れる前に、と、今必要と思われるもの、乾電池や緊急用のパン、水、ラジオを探し出しました。

ほの暗い中、ラジオのざーざーいう音が響き、なかなか必要な情報にあたらない。
突然外国語が流れ出したりして、これじゃない!

やっとNHKと思われる日本語が流れ出したときには本当に安心しました。

後に変更されましたが、その時にはまだM7.7 震度7 宮城県沖  東北地方太平洋側に津波
その様な情報と、各地の被害状況の速報が流れていたように思います。

明かりがない中の、自分達以外の人の声というものに、本当に心が支えられたと実感しました。
情報というのは大事です。
それからどれだけ経過したのか分かりません。
母親は6時間程度といっていましたが、そうなのでしょうか。
停電から復旧し、電気がついた時には本当に、明かりの有難さを実感しました。
子供は既に熟睡していました。

こんな震災の後なんだから、とにかく身内なんだから一箇所にまとまっていた方がいい。
必死になって引き止めた母親ですが、結局自宅に戻っていってしまいました。
他所の家では眠れないのと、お父さんが帰ってくるから、というのが理由でした。

結局ちゃんと無事に帰宅して、今もちょくちょく世話を焼いてくれますので、結果的には問題なかったのですが、
本当のところは多分、こういう時には離れるべきではないのでしょう。

その後、本当に10〜15分程度で私の父親から自宅に電話が入り、職場から歩いて帰宅している連絡を受けました。
何度もメールを送っていた夫は、私同様こちらに向かう車に乗せてもらっているが、とにかく都心は渋滞がすごくて動けない。何時に帰宅できるかわからないと返信してきました。
ダンナの弟夫婦にメールを送っていましたが、そちらも無事だと分かりました。

後、連絡が取れていないのは問題の宮城県の親です。

どうしても震えてしまう指で何度もミスりながら、こちらは全員無事が確認できたことを連絡し、
そちらの様子をどんな方法でも良いから知らせて欲しい。171の伝言ダイヤルの方法を知らせました。

そして、返事が来ることを待ちながら、そして、こなかったらどうしようという気持ちもありながら、
こなくてもこの混乱の中、こちらでも連絡がとりにくいのだからそういうこともある。
だから、とにかく待とう、待つと思わないで待っていよう。

何もしないでいるとおかしくなりそうだったので、寒い中、おそらくほとんど何も食べないで返ってくるだろう夫の為に
そうだ、母親がおいていった生姜焼き用の肉を焼き、味噌汁を作りました。
こういうときには暖かいものが一番効く。
そしてすでに当日になっていた翌日朝6時に出張に行くための準備と、風呂の準備を進めていました。


夫が帰宅する何時間前だったか、1通のメールが届きました。

メールアドレスは旦那父親です。宮城の。

「全員無事です」

それだけでした。
再び指が震えてしまいましたが、とにかく夫に連絡しないと…と、そのメールをなんとか転送。
他の情報は何もありませんでしたが、生きているだけは確認できたので、それだけでもです。


夫が帰宅したのは早朝4時です。
一つ前の駅まで送ってもらい、そこから歩いて帰宅したということでした。
とにかくまずは体を温め、帰宅途中に手に入れた食料を食べてはいたけれども、私の準備したものも口にし、
ほとんど寝ることなく、6時30分過ぎに自宅を出発しました。
夫はそれから水曜日まで関西方面から北陸にかけての出張をこなし、
私は子供と一緒に自宅待機をしながら、余震におびえながら、停電に備えた準備を行っていました。


あの日から一週間が過ぎ、仕事にも復帰しました。
息子も保育園に通い出しました。
停電の影響もあり、給食からお弁当持参になりましたが、
この日曜日に予定されている卒園式に向けて元気に登園をスタートしました。
そして、宮城にいた大ばあばが亡くなったという連絡も入りました。
ひ孫の息子とも少しだけでしたが触れ合ってもらった記憶があります。
何が原因かは分かりません。
まだ葬儀もできない状態なのだそうです。
落ち着いた頃に墓参で…という連絡を受けました。
今あちらに出向いて私達ができることはないから、ということでした。
電気も水も電話も復旧しました、家も無事。
義父は復旧に関わる関係の仕事をしていますので、仕事をスタートしたようでした。


こうして段々と普通の生活に戻ろうとする自分達がいます。
ですが、実は今もまだ、何かおかしいな…ちょっと変だな、という自分も自覚しています。
未だに、アノ日以前の自分と比べれば、半分程度の動きしかできないのです。
一度にいくつもの仕事をこなすことができません。
目の前にあるものを、ひとつひとつこなしていかないと、すぐにパニックを起こしそうになります。
自分の元々の小さな器が、あの地震の影響ですでに限界に近いところにあり、
ちょっとしたことですぐに溢れ出してしまうようなのです。


起きてしまったことをくやんでも仕方ない。
とにかく元気だして、今自分ができることをしないとね。
そういわれますしそう思うし、そうしたいのですが、どうにもならない部分もあるようです。

だから仕方ない部分は仕方ないと思うようにしました。
今の自分にはこれが精一杯。
そして少しずつ、前の自分に戻るしかない。
できないところをムリに手を出すことはないけれど、できるところはしよう。
そう思いました。

自分なんか全然被害なんかない人なのに、こんなになってしまってみっともないんですが。
明日、息子の卒園式を前に、あの日のことを忘れてしまう前に書き残しておこう。
少しずつ復活してきた今だからかけることを書いておこうって思いました。


世界中からの支援と、大変な時に支えあおうとする周囲の人のありがたい気持ち。
アワアワした気持ちでみっともなく買出しに走ってしまった自分の弱い心。
停電の夜の苦しさと、そんな中だからわかったありがたさ。
子供がね…本当に本当にすごいんですよ。
親がこんななのにね、自分の方が怖いだろうに、私の事すごい気にして、
コトあるごとにバカなことやって笑わせようとするんですよ。しかも一度や二度じゃないんです。
なんなんだろうな…本当に。
善き心を持つ人なんだなぁって、心から思いました。
私よりずっと大人だよ(苦笑)

なのでね、思うんです。

こんな善き心を持った子供達が、
さまざまな場所に住んでいる日本中の私達の子供達が私らの年齢になる頃までには、
今までよりもっともっと優しくてにぎやかで、安心で、よりよい社会を築くことができるだろう。
皆で体験した大変な災害に、皆の心が寄り添って一緒に一歩ずつ進み出すことができれば
それはきっとできるだろうと信じています。

自分ができるところだけで良いから、ムリせず少しずつです。
できない時には出来なくていい。
そんなときには膝抱えて泣いてしまっても良いと思う。


十人十色ですもの。
みんな違うからいいんですよ。
得意なところ苦手なところが違うんだもの。
同じ方向ばかり見てなくてもいいんですよ。

お互いに補い合っていれば、一人一人は少しずつだけしかできなくても
それが集まったらすごいことになるんじゃないかな。


自分に言い聞かせるようにして書いてます。
少しずつ読み直して書いてますが、なんだかまとまらないや… ^_^;



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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
はじめまして。
私も南関東(横浜市)在住です。
そのとき私は外にいたのですが、
どう頑張ってもまっすぐ歩けないのが変に思って、
立ち止まったら大きく揺れ始めました。
子どもたちは無事に帰ってきましたが、
夫は2時間かけて徒歩で帰ってきました。
私もこの震災のことをきちんと書き留めておこうと
思って、ほぼ毎日ブログを更新しています。
いつもの自分の生活が取り戻せないという気持ち、
本当によくわかります。でも、映像で被災地の方が
頑張っている姿を見ると、逆に励まされています。
ホント、できるだけのことをやってがんばるしかないんですよね!
ブログを通じてみんなで励ましあえるといいなと思います。
はる
2011/03/19 21:36
はるさま コメントありがとうございます。
最近やっと普通に過ごすことができるようになりました。
年度末に向けて仕事がピークになったのと、子供の入学でその準備に追われたのが原因かもしれません。
なんにせよ、時間を元に戻すことはできないので、先に進むために、しかもよりよく進むために何が出来るかな…というところで落ち着くしかないのかもですね。
まにゃママ
2011/04/09 16:59

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